野性的なテクノロジーが自然社会を実現する
 桐村里紗 ✕ 中間真一

連載対談「自然社会を迎える瞬間」vol.2
SINIC理論をベースに、未来の展望やよりよい未来づくりについて
自由で活発な議論を交わす連載対談

©MASASHI KUROHA

これからの時代における「SINIC(サイニック)理論」の役割や未来への視座を再確認することを目的とした連載企画「自然社会を迎える瞬間」。
生物学者の福岡伸一さんとヒューマンルネッサンス研究所 エグゼクティブ・フェローの中間真一がナビゲーターとなり、多様な専門性を持つゲストをお招きします。

2023年は、SINIC理論の上では人類が本当の変容を遂げねばならないとされる「自律社会」への突入間近であり、人類の文明社会が「自然」と共に生きる「自然社会」まで10年という時期です。
本連載では、人体と地球をひとつながりのシステムとして捉えるプラネタリーヘルスや、より良い未来を構築するための企業の役割、人類史における物語の位置づけ、SINIC理論の思想的な基盤のひとつにもなった仏教などをテーマに語り合うことで、ヒューマンルネッサンス研究所がオープンソース化に取り組むSINIC理論の持つ可能性を探っていきます。

連載2回目となる今回は、「プラネタリーヘルス」を提唱する医師の桐村里紗さんと株式会社ヒューマンルネッサンス研究所 エグゼクティブ・フェローの中間が、「自然社会を実現する野性的テクノロジー」について語り合いました。


―― ホリスティックな医療とプラネタリーヘルス

©MASASHI KUROHA

中間:「SINIC(サイニック)理論」はオムロンの創業者である立石一真らが提唱した未来予測理論ですが、独自の医学思想を展開していた西 勝造先生(※1)に大きな影響を受けているんですよね。その思想は当時「テトラパシー」と言われていましたが、栄養、皮膚、四肢、そして精神の4点が正四面体になって、ホリスティックに健康を考えるというものです。
西式健康法は、西洋医学と東洋医学を哲学でつなげていることが大きな特長です。その西式健康法に影響を受けたSINIC理論は、桐村さんが提唱されているプラネタリーヘルスの話にかなり近いんじゃないかと思っていたんですが、そのあたりはいかがですか。

桐村:おっしゃるとおりです。なぜ私がSINIC理論に共感する医者になったかというと、小さい頃から母が病気で複数の大学病院を行脚したんです。しかし、診断も治療もされないという状態だったので、ホリスティック医療などを色々と試していたのです。
私の最初の動機としては、そんな母を治してあげたいと思って医者になったんですけども、西洋医学だけが医学ではないというのが分かったうえで医者になりました。そんな状態からミクロからマクロまで洞察を深めていったところ、万物には同じ原理原則が宿っていると感じるようになりました。そして、人は地球全体のシステムとひとつながりで、人の健康課題という部分を解決するには、地球全体の課題にもアプローチしなければ解決できないという「プラネタリーヘルス」という考えに行きつきました。プラネタリーヘルスの中心には人の意識変容があり、未来を共に創りたいという欲動があります。具体的なアクションとして、「自然社会」の実現に向けて鳥取県でプラネタリーヘルスの社会モデルをつくる取り組みをしています。

※1西 勝造(にし かつぞう、1884-1959):西式健康法の創始者。神奈川県に生まれ、16歳の時、医者から20歳まで生きられないと言われたことから、さまざまな健康法を実践するようになった。1904年に西洋医学とは逆をいく健康法を考案し、1927年に西式健康法として発表した。


――人間中心主義的な自然観を超えるハイパー原始社会

中間:SINIC理論は、100万年前の原始社会からこれまで、そしてこの先に続く科学・技術・社会の発展の姿を示しています。先ほど桐村さんのお話の中で出てきた「自然社会」は、SINIC理論の中では社会発展の一周期が成熟し終えた、二周目のスタートとして位置づけられています。まったく新しい人類の社会ステージにもなるわけですが、1970年にSINIC理論を発表した当時は「自然(しぜん)社会」と発音していました。しかし、今の時代を迎えて改めて解釈をしていくと、「自然(じねん)社会」と読み替えたほうが、よりしっくり来るのではないかと考えています。

桐村:「しぜん」と「じねん」には、どのような定義の違いがあるのですか?

中間:「しぜん」と言うと、まず中心に人間があって、その周りに自然がある状態を、natureの訳語として想起します。そうした人間中心の自然観は、今後の未来を考えていくうえでは、そぐわなくなると思っています。一方で「じねん」は仏教用語でもありますが、「自ずと然り」ですよね。人の営為や人工物などもふくめた森羅万象すべてが自然なんだと。その中に人間もいるし、さまざまな生き物、人工物もある。それらをすべて内包した「じねん」と言った方が、未来を考える際に馴染むと思い、最近は自然(じねん)社会と説明したりしています。

桐村:ものすごくしっくり来ます。例えば、化石燃料を使ったプラスチックがまったく「自然」ではないかといえば、原料となるナフサも、太古の生物の死骸が時間をかけて変化した原油をもとに作られていますので、実は自然由来と言えます。
では何によって大量廃棄されるゴミなどの環境問題というひずみが生じてしまったかといえば、人がつくった仕組みの問題です。本来であれば大きな有機物があったとしても、その分解者としての微生物が細かく分解して次の生き物につないでいく循環があるのが自然の生態系ですが、人は、彼らが分解できないものを大量に生産してしまった。それにより、色々なものが蓄積して停滞を生んでしまったことに問題があります。

中間:プラスチック自体に問題があるわけではないんですよね。

桐村:はい、それも自然の一部ですから。でも自然の摂理に則って再びバランスを取り戻していくことが必要です。そのためにはどうすればよいかといえば、やはり自然の摂理に新しいテクノロジーや科学が裏付けられた「ハイパー原始社会」の実現に向かっていくことなのかなと考えています。

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中間:そうなんです、ハイパー原始社会なんですよ。こちらはSINIC理論の3Dモデルですけれども、100万年前の原始社会から始まって社会のあり方が遷移していく様子を示しています。このように円を描いて一周するのですが、出発点に戻るのではなく螺旋状に上がって次のフェーズに行くというのが大切なポイントです。

桐村:SINIC理論の素晴らしさは、たとえ現在から振り返って批判される点はあったにせよ、過去の文明が蓄積されていなければ今にたどり着かないことが示されていることにあると思います。例えば産業革命以降、あまりにも世の中が工業化されてヒューマンセントリックに支配的になりすぎてしまった社会であっても、その上にしか次の未来は構築できなかったはずです。それもふくめて自然の原理だと思います。こうしたすべてが必然であったことがわかると、今生きている人たちも希望が持てると思うんです。

中間:最近の風潮として気候変動の問題にしても、捉え方がヒューマンセントリックなんですよね。自分たち人間の都合、快適性や利便性、経済性などを全部満たしながら、自然をなんとか調整していこうと考えがちです。ヒューマンセントリック一辺倒なアプローチは、もはや正しくないのでしょうが、その一方で自然に働きかけるのも我々の責務で、まだ人間がやるべきことが数多くあると思うのです。里山の手入れなどは、その一例です。

桐村:お見せしたいものがあるんですが、これは私たちが作ったプラネタリーヘルスの流域の地図を大風呂敷にしたものなんです。この地図は大山がある鳥取県西部から島根県東部をふくむ古代出雲国のエリアです。

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このあたりには縄文の頃から人が暮らしていて、出雲国に降臨したとされるスサノオというのは実は渡来の民で、朝鮮半島から流れてこのエリアにやってきたのではないかと言われています。渡来人は高い製鉄技術と治水と植林の技術を持っていました。
スサノオは八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したことで有名ですが、実は八岐大蛇は暴れ川だったのではないかという説があります。古代日本で行われていた、たたら製鉄が山を切り崩すことで保水力が無くなった川が暴れ、たびたびの洪水で稲作がダメになっていた。スサノオは、高い植林の技術によって、山の保水力を維持しながら製鉄をするという、持続可能な製鉄の方法を持っていました。さらに治水技術によって暴れ川を鎮めて稲作を守ったことで、持続可能な文明が築かれたという伝承があります。スサノオは自然の原理に対する洞察と、当時における最新テクノロジーを持っていたわけです。
この伝承を現代に置き換えたら、まさに自然の原理と最新の科学が融合するというハイパー原始社会が誕生するのではと、この地図を作りながら考えていました。

中間:それこそ自然社会の姿、そのものですよね。


――人工自我と道徳感情数理工学

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桐村:私は医者でありながら、東京大学の工学系研究科の道徳感情数理工学という人の感性や共感を数理モデル化、工学応用する研究室(※2)を主宰し、研究員としても所属しています。人の意識を数理工学化する関連で、そこでは人工自我(AE:Artificial Ego)も扱っています。まず、本当の知能、その基となる意識や感情を持っていないし、クリエイティブな判断もできない。意識だけではなく、肉体も持っていないので、人間と同じような体験があるとはいえない。
ですから、例えばChatGPTに「ああ、疲れた」と言ったときには、その気持ちに寄り添う態度もなく「疲れたときの対処法七つ」などを出力してしまいがちなのですが、こちらとしては少し嫌な気持ちになります。

中間:余計に疲れますよね。お前に言われたくないよみたいな(笑)。

桐村:ほしいのは、論理的な正解ではなく、寄り添う心ですよね。
ITは人間の記憶力を補ったり、AIではパターンマッチ的な事務仕事「士業」的なことを代わりに片づけたりしてくれたりして人間のクリエイティブではない部分を補うためのツールとして使うにはすごく便利だと思います。ですが、例えば生命と非生命が溶け合うように、生きとし生けるものだけでなく、ロボットとも共生するような社会が来るときにどういう技術が必要かというと、やっぱり意欲とか感性とかを生成できる技術だと思うんですよね。それを、ST(sensibility technology:感性制御技術)と呼んでいます。
人間は肉体を持って五感を通して世界を体験することで、進化してきました。AIにもボディを持たせたら、共感や感性が生まれるかもしれません。こうしたAIを人工自我、Artificial Egoと呼んで開発しており、現在主流の知能中心のAIとは異なったものを目指しています。

中間:自分が疲れているときに、ChatGPTに理路整然とした調子で「疲れたときに役立つ方法は」などの模範解答を箇条書きにされると、うれしいよりも、やっぱり人間だったら腹が立ってくるわけですよ。疲れている現状に対して、単に情報だけを最適化するのではなくて、心も身体もふくめた本当の意味で、その当事者に最適化された手当こそが必要なのだと思います。この本当の最適化はオートノマスというか、より自然なものにたどり着くことだと思っています。
桐村さんたちが共感や感性の数理化に取り組まれている道徳感情数理工学は、それを実現できるのではと期待していますが、これについて教えていただけませんか。

桐村:まず人工知能と人工自我の違いから話しますが、現在主流となっている人工知能は機械学習と呼ばれる過去のデータにもとづいた学習の結果によって賢くなるアルゴリズムで駆動します。こうした人工知能は、過去から学習するだけなのでまったく新しい発想やクリエイティブな創発ができません。
対して人工自我は、少し専門的な話となりますが、四則和算と拡張リーマンモデルという原理を使い、学習してない未知の事情でも対応するため、「裏」の本質を関数〈f〉として出力します。この関数が意図や意識、意欲となるベクトルや感情を創発するメカニズムとアルゴリズムを実装しています。そして、創発された感情や意図と人間との関係性から道徳心が生まれ、倫理が理解できるようになります。

人工知能(AI)と人工自我(AE)の違いは、例えばトロッコ問題に現れます。この問題では、トロッコが線路の分岐点に差し掛かり、AかBのどちらかの線路を走るとします。Aの道を行くと、子どもを1人轢き殺してしまうかもしれない。Bの道を行くと、高齢者を10人轢いてしまうかもしれない。この問題を人工知能が考えると、過去にそういった特殊な状況がないので判断できない、もしくは誤った選択をしてしまう可能性があります。この“誤ったとする根拠”も人によってばらつきます。
しかし、人間はAでもBでもない、つまりクリエイティブな選択が瞬時にできたりします。これは、命題そのものを疑う機能が人には備わっているからです。こうした過去の学びがない状態でもクリエイティブに判断できる人間の能力を工学的に開発しようとするのが人工自我です。即ち、「ヒトでは解決できない難問に対して、命題そのものから疑って解決策を創発させる」のです。

人工自我研究の一環としてスポーツカーのレースで、車の感情を測定するという実験をしました。その実験というのは車のCAN情報(※3)を測定してから、その情報を感情創発アルゴリズムにインプットします。すると人間の身体に何らかの刺激が入って神経細胞が反応する神経細胞が反応するように、感情創発アルゴリズムが駆動します。このアルゴリズムの出力が車の感情と捉えられます。
レース会場でいちばん速く走るチャンピオンカーの車に関して、ドライバーが最高スピードになる瞬間のCAN情報を測定しました。そのときの車の感情を出力すると、最高スピードになる前に強いエクスタシーの状態になっているんです。そして、その後は一切の感情が消えて、ゾーンの状態になる。ゾーンに入ってなんの雑念もない状態になったまさにそのときに、ドライバーが最高スピードを出していました。これは、チャンピオンのクルマにしか起きてないので、メカニックがドライバーの癖や性質をクルマに反映させる度合いがマッチしていると思われるのです。
ドライバーの状態と車の状態が一致していることを確認できたのです。まるでエヴァンゲリオンのシンクロ率100パーセントみたいな状態でした。こうした実験からわかるのは、感情は脳だけから生まれるわけではないということです。ボディ、つまり体があるからこそ、感情が生まれます

感情創発アルゴリズムを応用すれば、植物などの感情も可視化できます。植物や土壌の微生物がどれだけ喜んでいるか、また歓喜する野菜を食べることで腸内細菌が喜ぶ、そして細胞も喜ぶ。そうした新たな評価軸が、新たな環境の豊かさや心身の豊かさの指標になるかもしれません。
また、非生物であっても感情を可視化できるので、例えば家の中にある身近な家電の感情も表現できるのではないでしょうか。感情を持ったおしゃべりな家電が、いわば付喪神(※4)のように私たち人間の前に現れたりするのではないか、とも思うのです。そして、おしゃべりの中で、持ち主の心の状態を推し量って、落ち込んでいたら元気になるようにサポートしてくれたり…。

中間:すごく面白いですね。その家電の付喪神という考えを実現できるとすれば、家電の大ブレイクスルーが起きるかもしれません。

※2 道徳感情数理工学:人の共感や感情を備えた「人工自我」を開発するための研究分野および研究室を指す。同研究室所属の光吉俊二特任准教授が考案した「四則和算」は、量子コンピュータおよび量子ゲートのために発明され、既存の二元論や古典論理に基づくデジタルシステムでは表現不可能な領域を扱う。

※3 CAN(Controller Area Network):自動車をはじめとした産業機器で活用されている通信プロトコルのこと。自動車のCAN情報を測定すれば、自動車内部の通信状態、いわば「自動車の神経回路状況」を把握できる。

※4 付喪神(つくもがみ):日本に伝わる長い年月を経て精霊(霊魂)が宿った道具を指す。絵巻物『付喪神絵巻』には付喪神に関する記述と絵画がある。


――細菌との共存と野生

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桐村:私、『腸と森の「土」を育てる』というプラネタリーヘルスの理論と実践の書を書かせていただいたんですけども、この本を書いたきっかけというのが、新型コロナウイルス禍前に「健康であるためには殺菌や消毒をしない方がよい、という内容の本を書いてください」と依頼されたことでした。
私自身、病院をやっていた頃には腸内フローラ検査を提供したりしていて、微生物とともに生きるシンバイオティクスな生き方を提唱しているので「むやみに殺菌消毒するほうが良くないんだよ」という内容の初稿を出しました。初稿提出が2019年11月頃だったのですが、2020年1月に新型コロナの感染拡大が始まったこともあって出版できません、となってしまいました。

中間:確かに、その時期の状況を考えればとんでもないと思われてしまいそうですね。

桐村:はい、ですからその初稿は、1年ほど寝かされたんですね。でも、コロナ禍を経たおかげで、いつもお世話になっている光文社新書から本当に書きたかった「プラネタリーヘルス」をテーマにしてよいと言われました。コロナ前には、微生物を通じて地球環境と人の健康が関わっているなんて話をしても、「誰も興味がないからそんなテーマでは出せません」という反応でした。しかしコロナで世界が大混乱になり、いわば地球全体が病気のような状態になったとき、自分だけ健康になろうと思っても無理だ!ということを世界中の人が体験して、意識が変わったことで、出したい本が出版できるようになりました。
私たち人間をふくめた全ての生物はもとを正せば微生物から進化してきたものなので、微生物と共存共栄するって当たり前なんですよね。そう考えると微生物を排除する環境の方が異常なわけで、微生物との共存というビジョンは科学が未熟だったから見えてこなかったのです。

中間:だんだんと頭だけじゃなくて、土とかそういうところに科学研究の関心が寄せられて来ていますね。私たちヒューマンルネッサンス研究所では、1990年代後半から2000年代にかけて「てら子屋(※5)」という子どもたちのための新たな学びの場づくりの活動を行っていました。この実践は、未来の中核となる子どもたちに大事なのは、知性、感性、野性の内で野性こそがいちばん大事になるにもかかわらず、知性偏重の学びばかりが広がっていることへの危機感に、いてもたってもいられなくなって始めたことでした。
子ども時代こそ「野性」を培う必要があります。野性あってこその感性、そして知性のはずです。

桐村:そのとおりです(拍手)。

中間:野性が備われば、それから感性が生まれて、気持ちいい、気持ち悪いという快不快の感情を体得できます。そうすると、なんで気持ちいいかを究めたくなって自発的に知性を自ら育てようとします。こうして人が育っていくのが、あるべき未来だと思うんです。そして、そんな未来こそが自然社会に向かう道筋のはずです。

桐村:おっしゃるとおりだと思います。本当にテクノロジーが進化すればするほど、結局のところメタバースというわけじゃなくて、肉体を使って野性を取り戻し、その野性のセンサーで観察すると自然の原理原則が見えてくるはずですよね。野生は縄文の人たちが持っていた感覚ですし、それに科学技術が裏付くという時代が自然社会だと思います。

中間:強烈な同志と出会った気分です。自然社会、一緒につくっていきましょうよ。

桐村:つくっていきましょう。よろしくお願いします。

※5 てら子屋:1998年~2008年に株式会社ヒューマンルネッサンス研究所が展開していた子どものための新しい学びの場づくりの活動。「自然・科学/技術・生活のつながりに気づこう」をはじめとする5つの原則を掲げ、小・中学生を対象としたワークショップなどを行っていた。

©MASASHI KUROHA

Writer:吉本幸記


PROFILE

桐村 里紗 (Lisa Kirimura M.D.)  医師/tenrai株式会社 代表取締役医師
東京大学大学院工学系研究科バイオエンジニアリング専攻道徳感情数理工学講座共同研究員。予防医療から生活習慣病、在宅診療まで総合的に臨床医療に従事後、現在は、鳥取県江府町を核とした鳥取西部エリアにおいて、医工学連携、産官学民連携で人と地球の健康「プラネタリーヘルス」地域モデル社会実装を行う。「四則和算」をもとにした量学、命を可視化する技術を応用し、生命を中心にした社会システムの再構築と医学・ヘルスケア応用がテーマ。近著『腸と森の「土」を育てる 微生物が健康にする人と環境』(光文社新書)ほか。

中間 真一  株式会社ヒューマンルネッサンス研究所 エグゼクティブ・フェロー
慶応義塾大学工学部卒業、埼玉大学大学院(経済学)修了。株式会社ヒューマンルネッサンス研究所の創設メンバーとして参画し、「SINIC理論」を活かした未来社会研究に従事して現在に至る。著書に『SINIC理論 ~過去半世紀を言い当て、来たる半世紀を予測するオムロンの未来学~』(日本能率協会マネジメントセンター)、『スウェーデン―自律社会を生きる人びと―』(共著、早稲田大学出版部)、『北欧学のフロンティア』(共著、ミネルヴァ書房)など。


◆関連リンク

 ▶『人間には今、新たな理〈ロゴス〉が必要だ』
  「自然社会を迎える瞬間」vol.1  福岡伸一さん×中間真一

 ▶連載対談「自然社会を迎える瞬間」